Story法人設立に至った経緯
2015年11月19日、出張先のビジネスホテルにて、朝刊の隅にその記事を目にした時の全身が怒りで震えたことを今でも鮮明に覚えています。
『障害児、妊娠初期に分かり減らせたら』茨城県教委の某氏による、特別支援学校訪問後の発言が掲載されていました。
そして翌年の7月26日、相模原市のやまゆり園で悲劇が起きました。
私の捉え方では、彼は件の某氏に共感するひとりの実行犯に過ぎず、我が子も、知り合いのあの子もこの子も、あの園にいたかも知れない。他人事ではない。もう、怒って震えてばかりではいられないと感じたのです。
事件の後、息子を生んで以来目を背けていた問題を課題にすべく、考え始めました。
人が人を排除するとはどういう事なのか?
どうして人は人を排除するのか?
いったい人の一生で排除はいつ始まるのか?
排除する側とされる側の線引きはどこにあるのか?
排除したりされたりのない日常はどうすれば作られるのか?
私に出来る事はないのか?
例えば今日は障害のない私も、明日はどうなるか分かりません。
だれ一人、好き好んで障害者(児)になった人も、障害児を生んだ母親も、いないのです。
たまたま、そうなっただけ。
現にいわゆる【普通】であった私の人生は、障害のある息子を生んだ瞬間から【普通】ではなくなりました。
住宅の設計を生業として来た私が初めて、人権、差別、優生思想、障害、虐殺…について書籍を読み漁り、どうにかこうにか、まだまだ僅少とはいえ学んだ事を拾い集め、私の経験も踏まえて出来る、いや、証明したい事として、ある仮説を立てました。
少なくとも、私の見える範囲で最初に【普通】の範疇にない人が線引きされるのが、小学校に入学する時だと感じました。
いったん「特別な支援が必要です」と診断されれば、支援学校あるいは支援学級等へ促されます。
そして放課後、その子らの殆どが送迎車両にて障害児通所施設へ。
放課後の時間を過ごし再び送迎車両にて自宅へ。
卒業後もまた、送迎車両にて自宅と通所施設を往復、あるいは入所施設へ。
もちろん、これが全てではありませんが、保護者等が余程意識的に地域や様々な人々との関わりを持とうとしない限り、彼らは生涯、点(自宅、通所施設、入所施設、障害者支援施設)と線(送迎車両)での暮らしとなる可能性があります。
しかし例えば、日常的に地域と関わり続けられる場所に、様々な人達が垣根なく出入り出来るような、そしてもう一度足を運びたくなるような木の香りの充満する心地良い空間を建築し、どんな障害があろうとも、そこに居るのが当たり前の事として生涯を過ごす事が出来たなら……。少なくともその地域では、排除する側とされる側の境界線はなくなるのではないかと考えました。
あの新聞記事を読んでから、霧の中、地図を描きながら山中をほふく前進するような日々を経て、現在、輝く笑顔のスタッフや子ども達と共に、木の香りの充満する放課後等デイサービスを管理・運営しています。
そして、子ども達だけでなく、成長して大人になっても支援を続けていきたいと考えています。
彼らの成長に合わせて進化して行きたいと思います。
答えが出るのは早くとも30年後。
これからもほふく前進は続いていきます。
一般社団法人ちいさいおうち 代表理事 夏井 千春